自分の子の特性に、いち早く気付くこと
そして、自分やパートナー、何世代か遡ってみて
「計画性がない人だった」「変な人だった」と言われている人が居なかったか。
我が家は先ず、自分自身のADHD.HSP.愛着障害に気付いたのが遅かったです。
様々なことを経て、結果パニック障害になりました。
自分の特性は指摘されないと、なかなか自分の異変に気がつけず
ただ自分は仕事の出来ない人間なんだ
人間としての不出来に意識がいってしまいました。
社会人になって、自分のワーキングメモリが周りとは違うことに少し気付きました。
明らかに自分の記憶が、その場凌ぎだとわかり、上司が白い目を向けたから。
病院勤務をしていたのですが、看護師長に無視されるようになりました。
そのきっかけは、学校への書類に看護師長が書く欄があり
渡したのが、提出1週間ほど前だったと思います。それを私が催促したんです。言葉や態度はきちんと選べていたと思います…。
そこから彼女は豹変しました。
「コッチは忙しいんだよ」ということですよね。
それを封切りに、私の仕事の吸収が遅かったのが原因か
無視だけに留まらず、私が友達の為にFAXを直してあげようと見ていたところ、私が触れていたので、壊しやがってと騒ぎたて睨みつけたんです。
他にも、他の人に分担されていた役割を、私にと頼んできた時
私が担当してもいいのかを聞いてみたら、もういい!と、激昂。
患者さんの前でも無視。
私は泣きながら診察中なのに謝りました。これは良い判断ではなかったと思いますが
何度も何度も謝っても聞いてもらえず。
看護師長も何かを抱えていたのかもしれませんが。
今でも私は、この記憶にうなされています。
さて、私は挨拶や謝罪は人より得意なのですが、物事の順位を即座につけることが苦手で
常にメモをお供に行動をしていました。
が、即座に答えを必要とする職だと、メモを開いている時間にイライラされて
怒られました。
今年の新人は使えないと。
振り返ってみると、私は病院に勤めていたのに
誰も私が障害である可能性に気づかなかったのかな…と、訝しいです。
教えてもらいたかったな…なんて思います。
その頃、初めてストレスでの失神、テタニーという硬直を起こす症状が出るほどの過換気を経験しました。
でも、私の親は胃腸科に連れて行ったんですよね。あの頃、過換気の事で病院にかかったのはそれきりです。
元から胃が弱かったので、その線しか考え付かなかったのでしょう。自分も親も。
胃痛は、元からと言っても受験生になってからでした。
親に不満は言えません。言わせてもらえません。
家を飛び出したくても、逃げ場がありませんでしたし……
歳を重ね、自分を見つめ直すと、徐々に徐々に知見が増え
親や、過去にあった理不尽さを理解する度ストレスが大きくなり、世の中が見えていくにつれて、それは肥大して
耐えきれなくなったというところでしょうか😅
当時、胃炎はあったのですが他は問題がなく。でも頻繁に立ち上がれないほどの胃痛に悩まされ
ブスコパンを携帯していました。
後に、立ち行かなくなり胃潰瘍の薬を飲まないといけなくなり、ついには鬱(そうだったのだと思っています。)の症状が出て、食指不振、睡眠障害、重い倦怠感に苦しみました。
そこでやっと、退職を決めたんです。
喘ぎ喘ぎ、やっとのこと家から1週間だけ逃げ出し、当時の彼のもとで療養させてもらいました。
自分が悪い。自分が人より上手く立ち回れなかった。なんで私だけこんなにとろいんだ。
何処かで、看護師長を傷つけたのかもしれない。たくさん悩みました。
そうして、体重が急激に減少していきましたが……
父や母は私が苦しんでいたのに気づきませんでした。
私の親、特に母は、立派に子育てをしたと言い張っています。
その母こそ、ASDがあるなと気がつくことができたのはたったの5年程前です。
自身で気づけていない事、それが負の連鎖を生んで行ったのではないだろうか。
MBTIという自分の性格診断と同じ感覚で、発達障害の診断を万人が受けることが義務化されていたら
私も母も、もっと生きやすく、有意義な選択が出来たのでは……